3.3 ヒトは何を覚えてきたのかーー記憶の進化心理学
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進化理論を用いて記憶システムに対して機能的な分析を行っている
彼の考えでは、心理学者は長い間にわたって情報の符号化や貯蔵、検索についての研究を積み重ねてきたが、記憶は異なる機能ユニットに分割できるものではない移乗、子のやり方では問題の本質を解決できない 動物の記憶を研究するには、適応問題から着手すべきであり、異なる適応問題は異なる記憶メカニズムや記憶の過程と関連していると考えている
記憶システムは脳の中に存在するだけではなく、環境の中の微細な手がかりにも存在している
これらの手がかりの中には、学習と記憶のシステムを賦活するようなものもあれば、どのような情報が符号化され貯蔵されるのかを決めるものもあり、また、検索するタイミングに影響するものもある
そのため、記憶を理解するには生体環境を背景にしなければならない
進化と適応問題の視点を用いれば、従来の研究とは異なるデザインの研究を考案できる
エピソード記憶に関しては、符号化、貯蔵、検索の他にさらに3つの能力が必要となる 自分こそが思考や行動が発生する原因であり、自分の思想や行動は自分に属すると感じること
自分の内的状態に関して自覚を持ち、自分が何を知っているのかについての理解を持つこと
これらの部分のうちどれか一つが欠けてしまうと、程度に差はあるがエピソード記憶の障害が引き起こされる
進化生物学は記憶システムが解決するよう進化した様々な適応問題の理論を提供し、それにより記憶のデザインに関する研究を手引きする
心理学者は脳を概念的に解剖する
心理学者は記憶の機能や範囲について、極めて貧弱な定義しか持っていない
あまりに一般的すぎる
心理学者は長年にわたって、情報を符号化、貯蔵、検索するプロセスが、どのような領域でも共通するかのように扱ってきた
適応的機能の進化的な理論から話を始めると、研究計画は全く異なったものになる
ヒト以外の動物の記憶を研究する行動生態学者は、常に適応問題を出発点にしてきた
その動物が解決すべき適応問題をはっきりと定義することで、これらの研究者たちはすぐに、記憶において、異なる適応問題からは異なる計算論的要求が生じることに気づいた(例えば, Gallistel, 1990; Sherry & Schacter, 1987)
鶏が歌を学習するには、自らの種に典型的な歌の型の神経的発達や、自分と同じ種がさえずる歌だけに注意を向け、他の歌を無視すること、聴きといった歌サンプルの音分析、周囲の歌ヴァリエーションの符号化、そして、まさに繁殖期に記憶しておいた歌を検索すること、などが必要になる
これらを可能にするためには、歌に特化した注意・学習システムと相互作用するようにデザインされた、同じく歌に特化した記憶システムが必要になる
事実、いくつかの種では、歌の学習に関わる脳核のサイズが、季節によって変化することが知られている
それが必要とされる繁殖期には大きくなり、他の時期には縮む(Nottebohm, 1981)
歌の学習のための記憶システムに必要な機能と、種子の貯食のための記憶システムに必要な機能には違いがあるとは思わないだろうか
歌学習のための記憶システムは、種子の隠し場所を覚えるためにデザインされた記憶システムほど膨大な貯蔵能力を必要としない
位置の情報は歌の記憶には無関係だが、どこに種子を隠したかを覚えておくためには非情に重要
歌の学習と隠し場所の記憶という適応問題には、それぞれに非情に特異的で互いに異なる計算論的要求があり、それぞれの適応問題を解決するために、異なる記憶システムが進化してきた
こうして考えてみれば、記憶プロセスは動物の頭の中だけにあるのではない、ということがわかる
記憶システムはその動物の生息環境に確実に存在する特定の手がかりを利用して働くようにデザインされている
例えば、特定の歌、繁殖期や配偶者の存在の手がかりなど
これらの中には、学習や記憶システムの活性化に関わるもの(繁殖期の手がかり)、どの情報を符号化し貯蔵するかを決めるもの(歌の型や特徴など)、情報検索のタイミングを左右するものなどがある(配偶相手や競争相手の存在)
記憶のデザインはその動物の生態という文脈抜きでは理解し得ない
自然淘汰によって形成された記憶の仕組みは、その整体の特徴の一部を利用している
それに加えて忘れてはならないことは、符号化、貯蔵、検索といった記憶システムの構成要素は、環境とだけ共進化したのではなく、注意や学習のメカニズムとも共進化してきたこと
そうでなければ、これらの記憶の構成要素は意味をなしえない
記憶と同じように、注意や学習もまた、何かしらの適応問題に特化してきた
適応問題の特定や分析に焦点を当てるこうしたタイプの研究計画は、ヒトの記憶研究の文脈ではほとんど試されてこなかった(詳しい議論は、Klein, Cosmides, Tooby & Chance, 2002を参照)
記憶システムに可能な一連のことがらのリストアップを続けてきた
非効率
適応問題から話を始めることで、それぞれが専用の記憶プロセスを持つような、特化した問題解決システムに焦点が当たるようになる
適応問題に焦点を当て、機能的ユニットとしてまとまっているようなシステムを探せばよい
それらの機能的ユニットは、当該生物が進化の歴史の中で何度も直面した特定の適応問題を解決してきたからこそ、現在存在すると言える
多くの場合、記憶プロセスは何らかの機能的問題解決システムの一構成要素と考えることができる(詳しい議論は、 Klein, Cosmides, Gangi, Jackson, Tooby, & Costabile, 2009; Klein, et al., 2002; Klein, German, Cosmides, & Gabriel, 2004を参照)
記憶とは一連の計算プロセスの「相互作用」であり、その一部に符号化、貯蔵、検索が関わっているだけのことだ、と概念化できる
貯蔵された情報は、多くの心理プロセスの相互作用を経て主観的経験へと変換され、それを私達が記憶と呼んでいることになる 同じように、これらの共進化したプロセスの相互作用を通じて、過去の経験が私達の目標を持った行動を生み出すとき、それを私達は学習と呼ぶ 生物学的レベルの分析による記憶システム
ある生物学的システム(系)は、機能によって定義され、特定の適応課題を達成するのに欠かせない個別プロセスという構成要素と、それらの協調的相互作用の内に存在する
例えば、循環器系は、心臓、血管ネットワーク、弁、肺といった多くの要素から構成され、それらは、そのシステムの属する身体におけるエネルギー物質の輸送という適応問題を達成するために、正確に調整されたやり方で相互作用している 各要素は、適応機能を達成するよう進化したシステム内で、その要素が果たす役割によって機能的独自性を持つことになる
身体中に血液を運ぶという機能を持ったシステムの中にあって初めて、心臓はポンプと定義される
この視点から考えれば、記憶は、プロセス要素間の共適応した関係ということができる
それらプロセスの協働によって特定の適応機能が達成される
プロセス要素には、符号化、貯蔵、検索といったおなじみのものも含まれるが、これらに限定されるものではない
生命体が過去の経験をもとに、より適切に行動するためには、個体が発達過程で獲得した情報をただ検索するだけでは不十分で、それら情報を意思決定や行動に結びつけるメカニズムも、同時に必要
さらに言えば、意思決定メカニズムや意思決定ルールは異なるサーチエンジンを活性化し、異なるデータシステムにアクセスすることが考えられる
正しい情報を探し、検索することのできるサーチエンジンが存在せず、発達的に獲得した情報を貯蔵するようデザインされた器官は、無意味な付属物となってしまう
このような観点からは、記憶などというものはないのかもしれない
たくさんの記憶システムが存在し、それぞれが特定の問題解決機構と関連しているのかもしれない
事例ーーエピソード記憶システム
エピソード記憶とは、これまでに経験したイベントに関する記憶を、それが自分の過去に起こったものだという自覚とともに保持している状態を指す(例えば、Tulving, 1985; Wheeler, Stuus, & Tulving, 1997) 科学者がこの種の情報を含む抽象的なカテゴリーを主張しているからといって、脳内に存在論的な相関が存在するとは限らない
もし、エピソード記憶が生物学的な意味で本当にシステムと考えられるものであれば、エピソード記憶が現在の形で脳内に存在するのは、その神経回路が、進化的過去においてその生命体が何度も直面してきた特定の問題を解決してきたから
進化は複雑で機能的に組織化されたシステムという新しい表現型を偶然生み出すようなものではない
システムは生命体の生存と繁殖の能力に貢献することによって、その機能的まとまりを獲得する
エピソード記憶が他の記憶システムでは扱えない機能的問題を扱っている(詳細な議論は、Klein et al., 2002; Klein et al., 2009参照)
協力関係の履歴を覚えておくこと
個人の発現の信用価値を評価すること
新しい証拠をもとに社会的知識を再評価すること
他者に関する一般化の範囲を区切ること
端的に言えば、エピソード記憶は、その持ち主を複雑なヒトの社会的相互作用の世界で、よりうまくやっていけるよう舵取りするもの(例えば、Klein et al., 2002; Klein et al., 2009; Klein, Robertson, & Delton, 2010; Suddendorf & Corballis, 1997参照)
これは別にエピソード記憶は社会行動に関連した課題しか遂行できないと言っているわけではない
すべてのシステムは、その特定の因果構造のゆえに、もともとデザインされたのとは異なる、あらゆる事柄を行う能力がある
心の中で行うタイムトラベルは、他の人々との相互作用を促進するようデザインされた進化的適応が生み出した、機能的な副産物
エピソード記憶はヒトの社会的相互作用の問題を解決するよう進化してきたのかもしれない
我々の祖先は小さな集団で暮らし、同じ人々と繰り返し交流していた
これらの交流の多くは、長期にわたる食料と援助のやりとりを含んでいた(Gurven, 2004)
他にも長期にわたる求愛や、繰り返される敵対と復讐、将来の脅威に備えた同盟形成などがあった
長期に渡って同じ組み合わせの人々とうまく社会的相互作用を続けていくためには、経時的に存続する心理的に一貫した存在として自分自身を表象することができなくてはならない
過去の経験は現在の自己に属するものとして記憶される
記憶を経験するためには従来の3要素である符号化、貯蔵、検索に加えて、最低でも3つの能力が要求される
自己主体感、自己所有感
自分が自身の思考や行動の主体であるという信念と、自身の思考や行動が自分に属するものであるという感覚
内省能力
自分自身が何を知っているのかを知り、自分自身の心的状態を顧みる能力
自身を中心とした個人的な出来事の連続体として時間を理解する能力
エピソードを「自身に属するもの」として表象する必要があることと、内省の能力の存在は、エピソード記憶が心の理論システムの構成要素の一つとして進化したことを示唆する(Klein et al., 2004) Leslie(1987)が定義したように、データ、すなわちエピソードを含むイベント情報は、メタ表象に貯蔵され得る このメタ表象は、「主体」ー「態度」ー「判断」という連動する要素からなる、データ貯蔵構造を持っている
つまり、イベントに関するデータは、特定の主体(この場合は「自己」)にタグづけられた心的ファイルフォルダに貯蔵される
その主体はデータに対して特定の態度を持つ
場合によってはそれを「覚えておく」とか「疑う」とか、そのイベントが起こるよう「望む」など
これらの態度それ自体も、興味深い動機づけシステムと関連するもの(Tooby, Cosmides, & Barrett, 2005)
自分自身の心的状態を顧みる能力の一つの側面と言える
内省の二つ目の側面はLeslie(1987)が「分離」と呼ぶものによって、計算論的なパワーが解き放たれることに由来する(Cosmides & Tooby, 2000) レスリーは、メタ表象に貯蔵された情報は、意味記憶から分離されるということを示した 例えば「月はチーズでできている」という表象は意味記憶から分離されていない
この表象は意味記憶に貯蔵された知識を修正する必要があることを示唆するから
一方、「アレックスは月がチーズでできていると信じている」というメタ表象は、そうしたことを示唆しない
メタ表象を通じて、我々は他の主体が信じていたり、覚えていたり、疑ったりしていることについての情報を貯蔵できる
このとき、他の主体の信念の内容をまるでそれが正しいかのように、自分の意味記憶に遡って考える必要はない
意味記憶に貯蔵された知識データベースを改変することなく、他の人々の信念や欲求について効果的に推論することができるようになる
それだけでなく、妄想的にならなくても自分自身の心的状態について想像上の推論、あるいは反実仮想的な推論を行う事が可能になる(Cosmides & Tooby, 2000)
「自分が覚えているーディナーを作ったとき、アレックスは自慢げだった」というメタ表象は、「提案するーアレックスに今晩ディナーをお願いする」という異なる分離した判断を導く
他の知識や推論をこの分離された表象に当てはめることも可能であり、もしかしたら「ディナーを早く終わらせる必要があったら、アレックスは厄介な事態を引き起こすだろう」という表象を引き出すかもしれない
これらはすべて、起こり得たけれども実際には起こらなかったことについての下向きの推論が意味記憶まで遡らされるのを防ぐというやり型で、隔離された表象システムの内側で生じる
メタ表象に関する古典的な考え方に欠けている唯一の点は、時間タグ 時間タグは、長期的な社会的相互作用を効果的に成し遂げるために、エピソード記憶に必要不可欠
イベントの発生時期は大事なポイント
あるいは仮定的推論によって、将来の実行可能な行動の方向性として主体が表彰する、多くの事柄のうちの一つでしかないのかもしれない タルヴィングはエピソード記憶をタイムトラベルにたとえた(例えば、Tulving, 2002; Tulving & Legage, 2000; Suddendorf & Corballis, 1997も参照)
タイムトラベルは、時間を表象する何らかの計算上の要素ないしプロセスがなければ不可能(Klein et al., 2004)
機能的、システム的視点を採ることで、エピソード記憶を、宣言的知識を自伝的な個人的経験へと変化させる心的能力のきめ細やかな「相互作用」から生じる意識状態として概念化することができるだろう
これらの構成要素(例えば、自己タグ(主体性・所有感)、態度、メタ表象の構造、推論をメタ表象に適用する内省能力、主観的な時間間隔など)が損なわれれば、様々な程度で、エピソードの再生に障害が生じるはず
それぞれが異なったエピソード記憶の機能障害として特徴づけられる様々な健忘症群は、どの構成要素が障害を受けるかに依存して生じる(レビューとして、Klein, 2001; Klein et al., 2004参照)
例えば、多くの種類の健忘は、自身の個人的な過去からイベントを検索することができない症状を引き起こす
これは、イベントの表象それ自体か、あるいはそうしたイベント表象を検索するシステムのいずれかに障害があることを示唆する
時間感覚の障害を引き起こす健忘もある(例えば, Klein et al, 2004)
稀だが、個人の主体性や所有感に障害が見つかることもある(興味深い事例研究としては、Talland, 1964参照)
エピソード記憶はイベント記憶よりも範囲の広いもの
多くの健忘症患者、例えば患者K.C.(Tulving, 1993)は、リンカーン暗殺や第二次世界大戦が1940年台に起こったとかいった、イベント事実を検索することに問題はない そうした健忘症患者は、自己に関するイベント事実でさえ検索できる場合もある
患者D.B.(Klein, Rozendal, & Cosmides, 2002)は、自分が通った小学校の場所についての知識を持っていた そこで何が起こったかについては一つも思い出せない状態だった
エピソード記憶は「自分に起こったこと」としてイベントを経験する能力を含む
メタ表象という観点から見ると、これは個人的イベントのメタ表象の主体タグに自己要素(あるいは自己概念)を挿入することを意味する
もし、その主体タグとしての自己に何らかの障害が生じたならば、イベントが自分に起こったこととして経験されることなく、思い出されることがあり得る
R.B.の症例では、意識的に自分の過去を検索することができたが、それらのイベントに関するエピソード再生には重篤な障害が生じていた 過去のイベントをエピソードの再生なしに意識的に検索できるという、この明らかなパラドクスは、エピソード記憶を相互作用する複数のプロセスからなるシステムとして位置づけることで解消できる
プロセスの一部は経験の生のデータを担い、また別のプロセスが経験を自分自身のものと感じることを可能にしている
問題は彼の経験の質と内容であり、それらの評価は他の手法が開発されるまでは彼自身の自己報告が頼り(例えば、Baars, 1988)
R.B.の証言はけがによってエピソード記憶のメタ表象の主体スロットに自己という概念要素を挿入する機構に不具合が生じたという考え方と一致する(ただし怪我の前に起こったイベントについてのみ。詳しい分析はKlein & Nichols, 2012)
これらのイベントについての彼の経験は、誰か他の人に起こったイベントと何ら違いがなかった
彼がこうした機能を回復できたということは、自己要素それ自体は事故によって破壊されなかったということを意味する
これは事故後の経験については個人的所有感を失わなかったことからも示唆される
彼の心的機構が、構築中の記憶については主体としての自己タグを挿入できたのに、過去のイベントの記憶についてはそうできなかった理由は不明
また、その事実は、心が時の流れを実際のところどう表象しているかを理解することが重要であることを教えてくれる(例えば、Dalla Barba, 2000; Klein, Loftus, & Kihlstrom, 2002; Klein Robertson, & Delton, 2010; Tulving & Lepage, 2000)
これらの発見や、これらとよくにた他の発見(レビューとして、Klein, 2004, 2010参照)は多くの演算プロセスが宣言的知識を自伝的記憶経験に変換する作業に関わっているという結論を支持する
こうした考えに基づけば、エピソードの検索はこれらの能力のすべてが揃わないと起こらないと言える
記憶システムは、その持ち主が過去に経験した個人的イベントをときをさかのぼって追体験することを可能にし、それを他者との相互作用に関する現在の意思決定に活かせるようにデザインされている